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2025.03.28
ロータリー誕生とその成長
20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目につくようになっていました。
ちょうどそのころ、ここに事務局を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に耐えかね、友人3人と語らって、お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するようの仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。
こうして1905年2月23日にシカゴロータリークラブが誕生しました。
それからは、志を同じくするロータリークラブが、つぎつぎ各地に生まれて、国境を越え、今では200以上の国と地域に広がり、クラブ数36,902、会員総数1,177,787人(2024年3月19日国際ロータリー公式発表)に達しています。このように、歴史的にみても、ロータリーとは職業論理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大な貢献をしています。
なお、世界中のロータリークラブとローターアクトクラブの連合体を国際ロータリーと称します。
日本のロータリー
わが国最初のロータリークラブは、1920年(大正9年)10月20日に創設された東京ロータリークラブで、翌1921年4月1日に、世界で855番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟が承認されました。
日本でのロータリークラブ設立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡充に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることができません。
その後、日本のロータリーは、第2次世界大戦の波に洗われて、1940年に国際ロータリーから脱退します。戦後1949年3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。
その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましいものがあります。ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものなりました。現在、日本全体でのクラブ数は2,204、会員数84,254人(2024年2月末現在)となっています。
ロータリの目的は、意義のある事業の基礎として奉仕の理念を奨励し、これを育むことにあります。
具体的には、次の各項を奨励することにります。 第1 知り合いを広めることによって奉仕の機会とすること 第2 職業上の高い倫理基準を保ち、役立つ仕事はすべて価値あるものと認識し、社会に奉仕する機会としてロータリアン各自の職業を高潔なものにすること 第3 ロータリアン一人一人が、個人として、また事業及び社会生活において、日々、奉仕の理念を実践すること 第4 奉仕の理念で結ばれた職業人が、世界的ネットワークを通じて、国際理解、親善、平和を推進すること |
四つのテスト 言行はこれに照らしてから 1. 真実か どうか 2. みんなに公平か 3. 事情意図友情を深めるか 4. みんなのためになるか どうか |

熊本ロータリークラブは、1939年(昭和14年)3月25日福岡ロータリークラブをスポンサークラブとして、日本で35番目、九州では福岡、門司、長崎に次いで4番目のクラブです。
2720地区(熊本県、大分県)では最初の設立クラブです。第二次世界大戦の戦局の重大化に伴い、米国にルーツがあるということで翌年8月に解散することになりましたが、木曜会の形で戦中・戦後も会合は続けられロータリー精神は継承されてきました。戦後1949年(昭和24年)9月に熊本ロータリクラブを再発足させ、10月には国際ロータリーから再承認を受けました。 再出発メンバーは27名で現在の会員数は87名です。 現会長(77代)木下修、幹事 上田修司(前会長 木村光男)、会長以下理事・役員や各委員会も全て、任期は毎年7月1日から翌年6月30日までの1年間です。 熊本県内の全クラブのうち1クラブを除く43クラブは、熊本RCがスポンサークラブ(親クラブ)として創った子クラブ(孫クラブ・ひ孫クラブ)です。 |
創立 | 1939年(昭和14年) |
会員数 | 87名 |
例会日時 | 毎週金曜日:12:30~13:30 |
例会場 | ホテルキャッスル |
事務局 | 〒860-0846 熊本市中央区城東町4-2 熊本ホテルキャッスル2F |
TEL | 096-354-4521 |
FAX | 096-354-4053 |